2011年5月26日木曜日

ステップ4 「気質(Personality)」 使徒15:36-41、Ⅱテモテ4:9-18

SHAPEの学びの、いよいよ第4ステップです。前回は「気質(Personality)」アンケートを行いました。あなたの気質は何でしたか?その結果に自分で納得がいきましたか?あのような心理テストのような方法がベストだとは言いませんが、大切なのは、私たちが「自分自身を知る努力」を怠らないということです。内向的になり過ぎるのは問題です。また、近年のスピリチュアルカウンセリングのような、明らかに異教的な手法も避けるべきです。でも、学問的に研究され、歴史的に検証された知恵からは、それがこの世の学問であったとしても、謙遜に学ぶところはたくさんあると思います。それらをすべて「この世的」とはねつけるのは、クリスチャンの傲慢です。

まな板の鯉となりなさい。箴言にこうあります。「おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表す(18:1-2)」。「分別のある貧しい者は、自分を調べる(28:11)」。少し極端なこといえば、どんなに聖書をたくさん読んでも、どんなに祈っても、どんなに素敵な賛美を捧げても、自分自身に対する健全な理解がなければ、その人の霊的成長はあるところで止まってしまいます。なぜなら、主のみこころを、自分自身のこととして聞く、心のアンテナが育っていないからです。その人は「聖霊によって示された」と言いながらも、結局自分の悟りの範囲をぐるぐると回っているだけなのです。健全な信仰には、健全な人間(自分)理解と、健全な神様(御言葉)理解の両方が不可欠です。

気質について、パウロとバルナバを比べてみることは、非常に興味深いです。この二人は、マルコという一人の青年をめぐって激しい反目となりました。パウロは第一次伝道旅行の際「一行から離れてしまい(直訳:見捨ててしまい)、仕事のために(宣教という使命のために)同行しなかったような者は、一緒に連れて行かない方が良い」と主張しました。しかしバルナバは、マルコも連れて行きたかったのです。ここから分かる彼らの気質は何でしょうか?パウロの気質は、自分にも人にも厳しくて、妥協を許さないコレリック(胆汁質)です。それに対してバルナバは、平和的で、人と人とを繋ぐフレグマティック(粘液質)だと言えます。その違いの背景には、マルコがバルナバのいとこであったことも影響しているのかもしれません。しかし、元々パウロをクリスチャンの交わりに紹介したのも、探し出してアンテオケ教会に連れてきたのもバルナバでした。

良い悪いではなくて、これは「違い」なのです。パウロのような人たちばかりだったら大変です!あまりにも厳しすぎて、ついて行けない人が続出でしょう。しかも彼には、公衆の面前で、使徒としての大先輩であるペテロだけでなく、命の恩人バルナバでさえも、ひどく非難するようなところもありました(ガラテヤ2:11)。でも、このパウロが、バルナバよりも大きな働きを成し遂げたのは、歴史的な事実なのです。二人が別れて後、バルナバの働きは、ほとんど聖書に記されていません。大きな働き(ミッション)を成し遂げるためには、パウロのような人物が必要不可欠です。そしてそのパウロのような人物は、バルナバを必要としているのです。バルナバがいないと、パウロはどんどん孤立してしまうのです。教会には、パウロもバルナバも必要なのです。

違ったもの同士が、認め合うことが大切です。完璧な人は誰もいません。誰にでも、強いところもあれば弱いところもあるのです。強みには感謝し、弱いところには気をつけましょう。それによって同じ過ちを繰り返すことから守られます。また人の気質に関しては、良いところをたくさん見つけて、折にふれ褒めてあげましょう。そうすることによって互いに高められるのです。パウロは後に、マルコを「同労者(ピレ24)」と呼び「彼は私の務めのために役に立つからです(Ⅱテモテ4:11)」と褒めています。またバルナバとも和解したことが暗示されています(Ⅰコリ9:6)。

気質を知りながらも、気質に縛られず、成長(成熟)させてくださる方に期待しましょう。ミニストリーに実際に従事する中で、神様からの取扱いを受けると、生まれながらの気質が聖められ、より神様のお役に立つようになるのです。後のパウロはオネシモという逃亡奴隷についてこう書いています。「彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています(ピレモン11)」。以前のように人を切り捨てず、成長させてくださる神様に期待するパウロの信仰があふれています。そしてこの言葉は、パウロ自身のことでもあるのではないでしょうか。サウロ時代の彼は、もちろん神様の役に立たず、主の教会を迫害するものでした。しかしその彼がイエス・キリストに出会い、人生を180度変えられ、救われてからも少しずつ聖められ、神様のお役に立つ者となっていったのです。

自分と違った人、理解できない人を受け入れなさい。いや、もう一歩進んで、自分に欠けているところを補ってくれる、大切な存在として敬意を払いなさい。あなたにとってその人の存在が必要なのです。自分自身をよく知れば、自分の良いところを正当に評価し、弱いところを受け入れられるようになります。すると自分と違った人のことも、受け入れられるようになるのです。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、
へりくだって、互いに人を自分よりも
すぐれた者と思いなさい。

自分のことだけではなく、
他の人のことも顧みなさい。
ピリピ2章3-4節

2011年5月20日金曜日

あなたの気質(Personality)アンケート

<はじめのお願い>
今回の内容には心理学(心理テスト)的な手法も含まれます。もしもそのような手法に抵抗を感じられる方がいましたら、下記の内容をお読みにならないことをお勧めします。「自己啓発だ」「心理学的とキリスト教を同列に扱うのか」「祈りと御言葉で十分だ」などの批判は重々承知しています。では、なぜこのような手法を用いるのか、そのことについてはまた次回説明いたします。どうぞ、あまり真に受け取り過ぎず、ユーモアを持ってお楽しみください^^)。
* 参考文献:平野耕一「血液型より気質分析」プリズム出版


● まず最初にアンケートに答えてみましょう。



タテに自分の印した数を合計すると、いくつになりますか?
一番多かった(もしくは複数)項目の、A.B.C.D.をお読みください。
もっと知りたい方は、上記の参考文献をお読みください。



●Aサングイン(多血質)

<強さ>
太陽のような感じの人。その人がいると太陽が昇るようにその場が明るくなる。5~6人集まり、ひときわ声を張り上げてしゃべっているのは大体サングインの人。テンポが良く、会話の主導権を自然に握っている。ステージが得意で、突然任せてみても、それなりに上手に立ち振る舞える。新しい事に対しても反応が良い。

<弱さ>
本人は楽しく話しているのですが、周りをうんざリさせたり、人の話に割り込んだり、調子に乗り過ぎた発言で不快感を与えてしまうことも。楽天的で、新しいことに飛びつくが、計画性はない。実際に失敗しないと分からない。失敗しても懲りずにまた繰り返す。好きなことに集中し、嫌なことは後回し、ついに忘れてしまう。

<聖書の例>
サマリヤの女、せっかちペテロ
<有名人>
明石家さんま



●Bコレリック(胆汁質)

<強さ>
気分や感情に流されず、意志が強い。常に高いビジョンを掲げ、そこに至る道筋まで見えているタイプ。周りに反対されても、自分の意志を曲げず、むしろ闘志を燃やす。組織のリーダーに向いていて「あなたには出来るからやってみなさい」と人にも高い目標を与え、潜在能力を引き出す。人を動かす決断力と指導力がある。

<弱さ>
目標が高過ぎて理解されず孤立することも。人に対する要求も高く、着いて来られない部下を切り捨ててしまう危険性も。有能であるがゆえに確信が強く「私に従っていればいい」と支配的になりがち。自分の正当性を主張することに熱くなり、人を悪者にし、関係を壊してしまうことも。基本的に自分が正しいと思っている。

<聖書の例>
炎の伝道者パウロ
<有名人>
星野仙一



●Cメランコリック(憂鬱質)

<強さ>
明らかに天才肌が多い。アリストテレスは「すべての天才はメランコリックである」と言った。物事の本質を見抜き、突き詰め、とことん掘り下げる。完璧な仕事(作品)を追求する。サングインのように口を挟まず、コレリックのようにお説教をせず、人の話をじっくり聞き、良く考えてから、ハッとする鋭い言葉を発する。

<弱さ>
いつも「どうして、どうして」と自分を追い詰める傾向。完璧主義者であるために、なかなか満足できず喜べない。人間関係に完璧はないので、落ち込んだり、悲観的になりやすい。自分の内面にも敏感で、深く考えすぎて、うつ状態になりやすい。物事の本質を見つめるがゆえに批判的で懐疑的だと思われてしまうことも。

<聖書の例>
キリスト論の本質を突くヨハネ
<有名人>
イチロー



●Dフレグマティック(粘液質)

<強さ>
サングインでもコレリックでもメランコリックでもなく、四つの気質がバランスよくあるならフレグマティックです。これはバランスの良い気質で、極端に走らず、自分の主張を通すことより、平和な人間関係を望みます。控えめで、出過ぎず、優秀なNo2に向いています。友人が多く、人と人とを繋ぐ働きに向いている。

<弱さ>
バランス志向であるがゆえに、その人自身の主張が見えにくい。周りに順応しようとするので、思い切った改革者には向いてない。人やムーブメントをまず静観してから慎重に動くので、仲間からはもどかしく冷淡にさえ思われることも。しかし一度スイッチが入ると大きな力を発揮し、持続力がある。何事もゆっくりで慎重。

<聖書の例>
文句なしにバルナバ!
<有名人>
息の長い調和という点でスマップ



どうでしたか?当たっていると思いましたか?
違っていても、単なるウォーミングアップとご理解ください。
次回この内容を参考に、聖書から、学びをさらに深めます。
自分を知ることによって、
隣人に対する理解も、聖書の理解も更に深くなります。^^)/

2011年5月12日木曜日

ステップ3 「能力(ability)」 使徒21:37-22:9、ピリピ3:1-16

SHAPE(5ステップの頭文字)の第3ステップを学びます。前回は「能力(ability)」アンケートを行いました。リックウォレンは、人の能力は26種類に分けられると言いましたが、このテキストでは少し手を加え「31種類の種類」にまとめました。またそれに加えて「動物の学校」のたとえ話も読みました。出来れば、もう一度、あのたとえ話を読み返すことをお勧めします。

あの「動物の学校」のたとえ話には誤解があります。あの話は決して、不得意なことは投げ出して、得意分野だけに専念しなさいと教えているのではありません。その証拠に「すべての動物がすべての科目を履修していました」と最初にことわられています。彼らは自分に課せられた義務や責任をちゃんと果たしていました。その上で、彼らには特に秀でた得意分野があったのです。でも彼らはその分野に努力をするのではなく、ひたすら苦手克服に力を注いでしまいました。その結果、わずかな成果はあったものの、もともと得意なことは、人並みかそれ以下になってしまいました。神様は、人それぞれをユニークな存在として創造しておられます。そのことを無視して、他人と比べて、出来ないことばかりを気にしたり、他の人と同じようになることばかりを追い求めるのは、なんともったいないことでしょうか。誰よりも、そう造られた神様が悲しまれます。

あの話は二つのことを教えています。一つは、自分に与えられている能力を更に伸ばしなさいということです。以前も話したように「二次的な奉仕」も大切です。でも自分の得意分野には更なる投資を惜しんではいけないのです。それはきっと何かの形で、神と人との役に立つことでしょう。もう一つは、他人の能力も祝福しなさいということです。アヒル君が上手に泳げなくなった時、先生もクラスメートも「もうアヒル君の能力におびやかされることがなくなったので喜んだ」とあります。また誰にも真似でいない方法で高く飛んだワシ君は「つねに問題児とみなされて」いました。なんと不幸なことでしょうか!「その人らしさ」が「他の人とは違う」という理由だけで問題視されてしまうのです。教会はそうであってはいけません!自分に出来ないことをしていても、今までのやり方とは違っていても、その人が喜んで神と人とに仕えているなら、それを「ともに喜ぶ大らかさ」が大切です。罪悪感を与えたり、ガッカリさせたりするべきではありません。

パウロにも多くの能力が与えられていました。彼は外国で生まれたユダヤ人であり、ギリシヤ語にもヘブル語にも通じていました。そして当時の一等国民であるローマ市民権を持ちながら、パリサイ派の最高師範の一人であるガマリエルの弟子でもありました。つまりギリシヤ・ローマ人に対しても、ユダヤ人に対しても、何一つ引け目を感じることのない「選ばれた人」だったのです。しかし、かつての彼(サウロ)は、その能力を持って何をしていたでしょうか?クリスチャンを追いかけて外国まで行き、見つけ出しては引いて来て、牢(ろう)にぶち込んでいたのです。彼の能力は、神様の役にも人の役にも立ちませんでした。それどころか、教会を破壊していたのです。

彼の能力が本当に生かされたのは、自分自身に死んでからでした。後の彼はこう言っています。「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています(ピリピ3:8)」。ちりあくたというのは、それらを全く無価値だと思っているということです。皮肉なものです。自分の能力に頼っている内は、本当の意味でその能力が生かされず、自分の能力のみならず、自分自身に死んだ時に、初めてその能力が永遠のために生かされるのです。それは「神の御前で誰をも誇らせない」という神の知恵によります(Ⅰコリント1:29)。聖書にはこうともあります。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって(ゼカリヤ4:6)」。

あなたにはどんな能力が与えられていますか?その能力に磨きをかけて下さい。しかしその能力にではなく、主により頼んでください。その時、あなたは、本当の意味で輝き始めるのです!

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、
わたしのために自分のいのちを失う者は、
それを救うのです。(ルカ9:24)