SHAPEの学びの、いよいよ第4ステップです。前回は「気質(Personality)」アンケートを行いました。あなたの気質は何でしたか?その結果に自分で納得がいきましたか?あのような心理テストのような方法がベストだとは言いませんが、大切なのは、私たちが「自分自身を知る努力」を怠らないということです。内向的になり過ぎるのは問題です。また、近年のスピリチュアルカウンセリングのような、明らかに異教的な手法も避けるべきです。でも、学問的に研究され、歴史的に検証された知恵からは、それがこの世の学問であったとしても、謙遜に学ぶところはたくさんあると思います。それらをすべて「この世的」とはねつけるのは、クリスチャンの傲慢です。
まな板の鯉となりなさい。箴言にこうあります。「おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表す(18:1-2)」。「分別のある貧しい者は、自分を調べる(28:11)」。少し極端なこといえば、どんなに聖書をたくさん読んでも、どんなに祈っても、どんなに素敵な賛美を捧げても、自分自身に対する健全な理解がなければ、その人の霊的成長はあるところで止まってしまいます。なぜなら、主のみこころを、自分自身のこととして聞く、心のアンテナが育っていないからです。その人は「聖霊によって示された」と言いながらも、結局自分の悟りの範囲をぐるぐると回っているだけなのです。健全な信仰には、健全な人間(自分)理解と、健全な神様(御言葉)理解の両方が不可欠です。
気質について、パウロとバルナバを比べてみることは、非常に興味深いです。この二人は、マルコという一人の青年をめぐって激しい反目となりました。パウロは第一次伝道旅行の際「一行から離れてしまい(直訳:見捨ててしまい)、仕事のために(宣教という使命のために)同行しなかったような者は、一緒に連れて行かない方が良い」と主張しました。しかしバルナバは、マルコも連れて行きたかったのです。ここから分かる彼らの気質は何でしょうか?パウロの気質は、自分にも人にも厳しくて、妥協を許さないコレリック(胆汁質)です。それに対してバルナバは、平和的で、人と人とを繋ぐフレグマティック(粘液質)だと言えます。その違いの背景には、マルコがバルナバのいとこであったことも影響しているのかもしれません。しかし、元々パウロをクリスチャンの交わりに紹介したのも、探し出してアンテオケ教会に連れてきたのもバルナバでした。
良い悪いではなくて、これは「違い」なのです。パウロのような人たちばかりだったら大変です!あまりにも厳しすぎて、ついて行けない人が続出でしょう。しかも彼には、公衆の面前で、使徒としての大先輩であるペテロだけでなく、命の恩人バルナバでさえも、ひどく非難するようなところもありました(ガラテヤ2:11)。でも、このパウロが、バルナバよりも大きな働きを成し遂げたのは、歴史的な事実なのです。二人が別れて後、バルナバの働きは、ほとんど聖書に記されていません。大きな働き(ミッション)を成し遂げるためには、パウロのような人物が必要不可欠です。そしてそのパウロのような人物は、バルナバを必要としているのです。バルナバがいないと、パウロはどんどん孤立してしまうのです。教会には、パウロもバルナバも必要なのです。
違ったもの同士が、認め合うことが大切です。完璧な人は誰もいません。誰にでも、強いところもあれば弱いところもあるのです。強みには感謝し、弱いところには気をつけましょう。それによって同じ過ちを繰り返すことから守られます。また人の気質に関しては、良いところをたくさん見つけて、折にふれ褒めてあげましょう。そうすることによって互いに高められるのです。パウロは後に、マルコを「同労者(ピレ24)」と呼び「彼は私の務めのために役に立つからです(Ⅱテモテ4:11)」と褒めています。またバルナバとも和解したことが暗示されています(Ⅰコリ9:6)。
気質を知りながらも、気質に縛られず、成長(成熟)させてくださる方に期待しましょう。ミニストリーに実際に従事する中で、神様からの取扱いを受けると、生まれながらの気質が聖められ、より神様のお役に立つようになるのです。後のパウロはオネシモという逃亡奴隷についてこう書いています。「彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています(ピレモン11)」。以前のように人を切り捨てず、成長させてくださる神様に期待するパウロの信仰があふれています。そしてこの言葉は、パウロ自身のことでもあるのではないでしょうか。サウロ時代の彼は、もちろん神様の役に立たず、主の教会を迫害するものでした。しかしその彼がイエス・キリストに出会い、人生を180度変えられ、救われてからも少しずつ聖められ、神様のお役に立つ者となっていったのです。
自分と違った人、理解できない人を受け入れなさい。いや、もう一歩進んで、自分に欠けているところを補ってくれる、大切な存在として敬意を払いなさい。あなたにとってその人の存在が必要なのです。自分自身をよく知れば、自分の良いところを正当に評価し、弱いところを受け入れられるようになります。すると自分と違った人のことも、受け入れられるようになるのです。
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、
へりくだって、互いに人を自分よりも
すぐれた者と思いなさい。
自分のことだけではなく、
他の人のことも顧みなさい。
ピリピ2章3-4節
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